口径15.8cm高9.8cm 商品解説 明治の一時期、ほんのわずかな数だけ製作された小野義真の樹鉢の内の一枚。
この作品は限られた作品群にあって今日までほとんどその存在が知られておらず、旧蔵者の元で永らく保管されていたと思われます。
型は古典的な蘭鉢をアレンジしたもので、釉薬は小野窯特有の辰砂、いわゆる小豆釉の渋く落ち着いた見事な発色を見せています。
この小豆釉は小野義真の美意識が色濃く反映されたものと言われ、小野窯の象徴的な釉薬です。
釉薬の配合や温度など製作において緻密な調整を必要とする釉薬で小野義真のこだわりが凝縮された仕上がりと言えるでしょう。
箱の裏に「昭和14年の春に、横浜の藤崎万吉の周旋でこれを求めた。
逸品の称あり。
内山竹翁愛蔵 小野焼 内地製」とあり、横浜の万さんこと翠香園・藤崎万吉氏の推薦があって入手された事が記されています。
この藤崎万吉氏は明治から昭和初期にかけて活躍した盆栽家で整形、整姿に抜群のセンスを発揮し、昭和32年には横浜市文化賞(無形文化財)にも指定された名匠。
箱書通りに昭和14年にこの小野鉢を入手したものなら、小野義真が亡くなって30年以上の時を経ていたことになり、そこから更に60年以上の時代を過ぎて受け継がれてきたことになります。
その間ほとんど世に出るがなかったのは歴代あるいは一人の蔵者が大切に保管していたのでしょう。
作品そのものの評価に加え、藤崎氏の箱書が更に価値を高め、旧蔵者の愛着が伺えるエピソードと言えるでしょう。
名品に名匠が価値付けをした幻の名品と言えます。
目立った傷もなく素晴らしい保存状態です。
※現品限りの商品です。
作家プロフィール 陶名:小野義真(おのぎしん) 天保10年〜明治38年(1839〜1905) 明治期の官僚、実業家。
四国宿毛の士族の長男に生まれ、明治3年31才で工部省出仕。
翌年には大蔵少丞となって大隈重信の下僚となる。
明治7年官界を離れ三菱入社。
岩崎弥太郎の懐刀となって辣腕を振るい、三菱財閥の礎を築いた実業家であった。
実業の傍ら、趣味も多岐に渡っていたようで、盆栽や刀剣、碁、俳句などを嗜み、それらすべての分野において通人であった。
中でも陶芸に対する情熱は道楽の域を超え、本邸内に窯を設け、尾張の陶工・加藤正吉を招いて本格的な作陶を行っていた。
この加藤正吉は腕の立つ技術者だったらしく、薄作りと言われる作風で花器・茶器などにも多数の名品を残している。
小野義真はプロデューサー的な役割で、小野の美意識や好みを加藤正吉らによって忠実に再現されたものが小野窯の作品である。
小野窯の盆栽鉢は磁器または半磁器の胎土で、ロクロによる丸物が大半を占める。
型・釉に特徴があり、小豆釉や緑釉が有名。
小野窯の落款で有名なのは、しゃれこうべの中に「正」の字を配したものだが、これは加藤正吉の手によるものである証。
小野窯の作品の大半は落款がなく、これは作品の多くを親しい友人に譲り渡していたようで、当時の礼節を重んじた配慮からと思われる。
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Item Number 20
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BONSAI 彩都 楽天市場店 |
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1,500,000円(税込み) |